Mamusan COFFEE

コーヒーを売らないコーヒー屋。マムさんコーヒー。

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ゴーストライダー

 バスケ部のレギュラーから落ちたことで、おれは明らかにイラついていた。自分でもわかるくらいに周囲から孤立し、何もかもがうまくいかない。街で噂になっているゴーストライダーに出くわしたのは、ちょうどそんな時期だった。

 長距離トラックで渋滞する国道2号線を避けるかのように東西に沿っている、阿品台からバイパスを結ぶ通称ナタリー街道。こんな細いところに入ってこの先本当に広い道があるの?ってところから始まることと、地図で見る限りでは入り組んだ生活道にみえるためよそ者がナビの案内でこの道を使うことはほとんどないことで、地元のものだけが知る快走路として利用されている。そのナタリー街道に、出るらしい。と、噂されている。何がって、だから、ゴーストライダーが。深夜3時にさしかかるころ、ナタリー街道をバイクで走っていると後ろにぴったり付いてくるもう一台のバイクの存在を感じるらしい。バックミラーには何も映っていないので、おかしいなと思いながらも走り続けていると、突然血だらけのライダーが乗ったバイクに追い抜かれる。抜かれたやつはその場で事故るとも、3日以内に不幸が起きるとも言われているが、そのへんは諸説あって確かなことはわからない。だが、ゴーストライダーの存在だけは、部活仲間の先輩がバイト先の友達の兄キも見たって言うし本当のことだとおれも思っていた。

 ふだんは夜中の3時頃にナタリー街道を走る用事なんてないのだが、その日は違っていた。思いつきでやりはじめた、母親の買い物用スクーターにパワーフィルターを取り付ける作業をしているうち、キャブレーターのセッティングに思いのほか時間がかかってしまったからだ。気がついたら時計の針は深夜2時を過ぎていた。せっかくできたファイナライズの乗り味を試そうと、夜中の試験走行に都合の良い道としてナタリー街道を疾走していたのだった。

 いる。ゴーストライダーが後ろについてくる。街道を走りはじめてすぐ、不気味な気配が背後にまとわりついた。4ストの音?カブか?パワーフィルターとビックキャブで吸気系をチューンした2スト50ccのヤマハJOGの音に混じって、背後から聞こえるその音はまちがいなくホンダスーパーカブのエンジン音だった。モンキーやベンリィと違うのはミッションチェンジ音でわかる。本来なら2スト50ccのジョグに4ストのカブがついてくることは不可能だが、ストローク音の不自然さから察するにボア・ストロークアップを行っているらしい。低い音域から唸りを上げるその排気音は、まさしく怨霊の咆哮のようで、今にも後ろから首根っこを掴まれて異界へ連れ込まれてしまいそうだ。ヘッドライトに映らないそのゴーストライダーはおれのうしろ1cmスレスレでぴったり後をつけ、少しでも速度を緩めれば命が危ない。80km/h。82km/h。82.5km/h……。前後10インチのタイヤはこの速度域で路面の小さなギャップを拾ってしまい今にも吹き飛びそうだ。アンダーボーンフレームはぐにゃぐにゃとゆれ曲がり、トップブリッジにマウントされたハンドルを押さえることができない。ヤマハJOGの限界がきている。「やられる!」看護学校の寮手前の交差点直前に差し掛かり、もうだめだと思った瞬間。ゴーストライダーはすかさずおれの横に出て抜き去っていった。一瞬のできごとだった。あっというまに見えなくなった。とにかく助かったと思う安堵の気持ちでいっぱいだった。

 はじめてゴーストライダーと遭遇したあの日以来、おれは雪辱を果たすためナタリー街道を走り込んだ。バイクからあまりうるさい音が出るのが嫌いだったため排気系は特に何もいじっていないが、前回と変わらずの吸気系のパワーアップに加えて点火系統と足回りを強化した。そこそこチューンのオカンJOG。四輪以上にタイヤの接地面積が小さい二輪はコーナー手前の減速が鍵になる。高速コーナーにしっかり減速して突入してコーナー出口の立ち上がりを加速力で稼ぐのだ。馬力と足回りを強化したこのチューニングが最適解のはずだ。ゴーストライダーに勝つべく、おれは何度も何度も深夜の街道を走った。走り込んでいるうちに、前回抜かされた交差点前のわきにいつも一輪の花が供えられていることに気がついた。全速力のさなかでも、道路わきの状況にまで注意が及ぶことができるほどになったのだ。時は満ちたのだ。マシンもおれも最高のコンディションに仕上がった状態でふたたびゴーストライダーに出くわしたのは、あの日と同じくらい蒸し暑い熱帯夜の深夜だった。

 怨霊の咆哮をあげて、後ろにゴーストライダーがついた。絶対に抜かせない。リードを保ったままタイトコーナーを連続でさばく。リーンインの絶妙な体重移動で切り抜ける。まるで自分がコマになったかのように、世界がおれを中心に回転していく。引き離した。バックミラーにこそ映らないものの、コーナーをクリアするたびゴーストライダーとの距離が少し開くのを感じる。ここまではいいぞ。ボア・ストロークアップされたスーパーカブのエンジン音が、悲鳴にも似た唸り声を上げる。最後の高速コーナー。リーンウィズで突っ込む。しまった。刺された。わずかにコーナーインが甘かったのか、ゴーストライダーはすかさず内側から刺してくる。並ばれた。こうなればコーナー出口から交差点までの直線で勝負だ。最大の加速をこころみる。体重を後ろにずらし、リアショックをガチガチに固め、後輪の駆動力を最大限に路面に伝え加速していく。吸気系チューンした2ストJOGと、ボアアップした4ストカブの直線勝負。JOGのほうも甲高いエンジン音を轟かせ立ち上がり一直線に加速する。抜けた!

 叫ぶゴーストライダーを一気に突き放す。やった!勝った!そのまま交差点を突っ切る。おれの勝ちだ。

 と思った刹那。

 交差点南から侵入してきたトラックを左端の視界に捉えた。やっちまった。不思議と心には余裕があった。たぶん、これから起こることの実感がわかないのだろう。

 トラックはおれの左半身を強く打ち付ける。まるで時が止まったみたいに全てが把握できる。そのままJOGごとふっとばされた。意識がある中で最期に見えたのが、宙を舞うJOGにくっついている、くしゃくしゃに曲がった前カゴだった。

 信じられないことに、一命をとりとめたのはふだんからリュックに入れて背負っているバスケットシューズがクッション代わりになったからだった。あの時間帯、トラック側の信号が赤の点滅信号、つまりトラックは一時停止からの発進直後だったことも不幸中の幸いだった。つまりおれは助かった。1年くらいはバイクに乗るのはこりごりだったが、のどもとすぎればというのか、けっきょくのところ何やかんやでおれは今もバイクに乗っている。世間ではレーサーレプリカがブームのなか、発売したばかりのスティードや最近ようやく注目されだしたSRなんかを尻目に、VFRでV4型カフェレーサーという風変わりなカスタムを施している。

 あの日以来、ゴーストライダーの噂は聞かなくなった。かわりに、ちょっと昔の気の毒な少年の話を聞いた。

 その少年もバスケ部に所属していて、新聞配達のバイトをしながら部活に打ち込んでいたそうだ。ある日、新聞の配達が遅れてバスケの朝練に遅れそうになったとき、あそこの交差点で事故ったらしい。そういえば交差点にいつも花が供えてあるのを見かけた。本当にあのゴーストライダーが事故った少年なのかは誰にもわからない。おれの事故も、ゴーストライダーが誘発したんじゃないかと言う人もいる。だがおれはちがうと思う。ゴーストライダーはきっと、自分が追い抜くことで事故の身代わりになろうとしていたんだと俺は信じている。なぜなら、あのとき聞こえたからだ。ゴーストライダーを追い越したとき、はっきりと「あぶない!」という声が。

 あれからバスケ部にも復帰して念願のスタメン入りも果たせた。県大会では二回戦止まりだったけど悔いはない。JOGも奇跡的にも前カゴとカウルが少しやられただけで済んだので、いまだに母親が買い物に使っている。吸気系ゴリゴリのバイクで買い物にくる、生協ストア最速のオバハンとの異名で有名になっていることを、母親は知らない。