Mamusan COFFEE

コーヒーを売らないコーヒー屋。マムさんコーヒー。

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ファイトクラブ

ぼくたちがファイトクラブを始めたのは、“いじめ”がきっかけだった。ぼくたちは“いじめられて”いた。その日も、袴田くんとぼくは郷島たちヤンキーに酷いことをされたうえにお金までとられた。とぼとぼと帰り道を歩いているとき、こんな嫌なことが中学卒業まで続くのかと思うと最悪な気分になった。自分に腹が立った。いくら理不尽なことをされてもヘラヘラと取りつくろったり形だけ抵抗するしかできない自分に、とても腹が立った。袴田くんにぼくを殴れと迫った。嫌がる袴田くんに強引に頼み込んで殴らせた。それが最初だった。

暴力。

はじめて味わう、体に撃ち込まれたかのような暴力の味。そのとき気がついたのだ。郷島たちはいつも暴力的な態度でぼくたちを支配するものの、今まで暴力を実行したことはなかった。考えてみれば体格こそ違えど同じ中学生。郷島も怖いのだ。暴力を振るうことが。今この瞬間。暴力の味を覚えたぼくと袴田くんは奴らより一歩抜きん出た。ぼくたちにあって郷島にないもの。それは殴り合いだ。ぼくたちは闘い方をいま知った。このことに気がついたぼくたちは夢中になった。時間は決まって放課後。いつもの場所。体育館裏。ぼくたちだけのファイトクラブのはじまりだ。二人だけではじめたファイトクラブも、気がつけばあっという間に毎日の参加者が10人を超すようになった。ルールは次のとおりだ。闘いの無理強いはしないこと。武器を使用しないこと。勝ったものが負けたものの治療費500円を払うこと。そして誰にもファイトクラブのことをしゃべらないこと、ただしスカウトは例外とする。メンバーは、これはという男を見つけたらスカウトのためならファイトクラブのことを喋ってもいい。ただしスカウトされたものはぼくか袴田くんの“面接”を受けることになる。周りは誰も闘いを無理強いはできないだけに、ファイトクラブのメンバーたるものの人材の見極めは重要だ。もしこれにパスできない人材なら、スカウトしたメンバーのほうが“制裁”をうけることになる。なのでスカウトする側も滅多なことでは新しいメンツを連れてくることはない。べつにファイトクラブのことを極秘に扱うつもりはなかったけど、“邪魔なやつ”が混じることを防ぎたかったのだ。このルールによってファイトクラブの純粋さは保たれていた。あるのは闘いのみ。いるのは闘うやつらのみ。いつしかファイトクラブの存在は男子学生たちの周知の事実であって憧れの的となった。参加希望者が後を絶たない状態のなか、厳選に厳選を重ねメンバーはつねに少数精鋭を保っていた。

この日ぼくたちの“面接”をうけてはれて新メンバーとなったのは二人いた。ひとりは生徒会長。そしてもうひとりはあのいじめっこの郷島だった。ふたりはさっそく実戦に参加することになった。生徒会長の相手は袴田くんだ。袴田くんは長いリーチを活かして距離をとって闘うスタイル。すでにかなり場馴れしているのでよっぽどの格闘技経験者でないと袴田くんに勝てるものはなかなかいない。そんな腕利きのファイターといきなり闘う生徒会長にはかわいそうだが、手加減をしないのもファイトクラブの暗黙のルール。袴田くんに一方的に殴られるばかりの展開だったが、生徒会長にも目を見張るものがあった。さいごのほう、ふらふらになりながらも袴田くんのパンチを避けることができるようになってきたのだ。割合にしておよそ3発に1発。生徒会長は見切ることが出来ていた。軌道の読めない袴田くんのパンチをそのくらいの割合で避けることができるのは、今までのメンバーで誰もいなかった。あと3回ほど実戦を経験すれば、生徒会長もおそるべきファイターになるだろう。ファイトクラブがさらに厚みを増してきた。

そしていよいよ郷島くんとの闘い。むかえ撃つはもちろんこのぼくだ。ぼくの闘い方は、相手の懐に入ってからの腰の回転を使った連打だ。脇をしめて体ごと高速で回転する。全体重と体幹筋肉の力が加わるので、威力はふつうのパンチの比じゃない。どんな体格差の相手でも吹っ飛ぶ。腰の回転を使った打撃なので左右のコンビネーションが読まれやすいが、そんな読みが無意味になるくらいの凄まじい衝撃をガードの上からでもおかまいなく与えられるので、相手の鼻先に入りさえすればほとんど無敵だった。だからというわけじゃないが、正直にいうと少し郷島のことをナメてた気がする。もちろん、面接の時点で郷島にも光るものを感じたのだからメンバーに加えたのだし、口先だけの奴とまでは思ってなかった。少しはやるやつだと思ったから、過去のしがらみは忘れてメンバーに入れたのだ。それでも郷島の力量を見誤っていた。勝負は一瞬でついた。何が起こったのか、ぼくにはわからなかったので、闘いの様子はぜんぶあとから聞いた話だ。開始早々、堂島の懐に飛び込むぼく。その刹那。ぼくの体が宙に浮いたかと思うと一瞬で地面に叩き伏せられた。堂島は柔術経験者だった。すかさず地面に倒れたぼくの逆襟を取って首を絞めた。一秒もたってなかった。ぼくは投げられたうえに“極められた”のだ。この上なく完敗していた。

ファイトクラブにあるのは純粋な闘いの場だけなので、その戦いの結果誰が勝って誰が負けるということはあっても誰が強いとか誰が弱いといったような上下関係はない。いちおう創立者であるぼくと袴田くんは“面接”という役回りを与えられてはいるが、支配者というわけでもないし、これまでだって闘いに負けることだってよくあった。だけど、郷島くんに負けたことはぼくの中でとても大きな負の意味をもってしまった。「いくら強くなった気でいても、かつてのいじめっこにぼくは敵わない」このことがぼくを恐怖に陥れた。急に、闘うことが怖くなった。膨れ上がった風船が急激にしぼむかのように、ぼくの気持ちは萎えてしまった。ファイトクラブに顔をだすことはもうなくなってしまった。郷島も含めたメンバー全員、ぼくのことを心配してくれたが、いちど牙を折られてしまった闘志はふたたび燃え上がることはなかった。

事件があったのはぼくがファイトクラブに顔を出さなくなって数ヶ月後のことだった。袴田くんが生徒会長を殴り殺してしまったのだ。(続く)